こんにちは♪
看護探究隊のあやぱんです。
この記事を読みに来てくださりありがとうございます♡
産後ケアのカテゴリーでは、日本で看護師をしていたあやぱんが、シンガポールで産後のお母さんと新生児のケアを行なった経験を元に、「産後の親子の健康」に関する情報を探究してまとめた、あやぱんの学習記録です。
今回探究してまとめた内容は、「私が産後ケアを始めたきっかけ」についてです。
私は最近モチベーショングラフを作成したことをきっかけに、自分の過去について振り返り自己を見つめ直しています。
今まで振り返った内容は、私が看護師になった理由
そして、人生で1番辛かった看護師1年目についてです。
今回は、なぜ辛い看護師1年目の経験を経て看護が好きになったあやぱんが、シンガポールで産後ケアを始めたのか、その理由を明らかにしていきます。
今回も私の人生の振り返りなので、読者の皆さんに役立つ情報はほぼ無いです。笑
予めご了承ください。
私の産後ケアの原点はインドの孤児院
結論から申し上げますと、私が産後ケアを行うきっかけになったのはインドの孤児院での経験です。
私は日本で看護師をしながらいろんな国を旅することが好きでした。
そして、いろんな価値観や文化に触れることで自分の世界観が広がるのがとても楽しかったです。
それを繰り返しているうちに、「海外の看護ってどんな感じなんだろう。」と興味を抱くようになりました。
そして、次に海外へで出るときは海外の看護を学ぶ旅にしようと決めたのです。
決めたら即行動の私なので、「海外の看護を学ぶにはどこに行けば良いかなぁ。」とワクワクしながら調べました。
その結果、マザーテレサが活躍した場所インドのコルカタに行くことを決めました。
今でも、マザーテレサが活躍したインドのコルカタでは孤児院や社会復帰施設、死を待つ場所と言われる施設などがあり、そこでは死にかけているホームレスやストリートチルドレン、性的虐待を受けた女性たちなどを支援しています。
また、そこでは世界中からボランティアに来る人達が大勢います。
年齢層は大学生からシニアまで様々です。
私もいろいろ事前調査をして、日本の看護界でも有名なマザーテレサから何か得られることがあるのではないかと思い、ボランティア活動をしながら海外の看護を学ぼうと1人でインドのコルカタへ飛び立ちました。
私は念入りな事前準備と現地で出会ったボランティア仲間と集団行動することで危険な目に遭わずに済みました。
また、インドでの経験は後ほど詳しく記事に残したいと思いますが、産後ケアに最も影響したことは世界中から来るボランティアの人たちでした。
看護師の私よりも、孤児院の子供たちに愛情を注ぎながらお世話するスペイン人やエジプト人などのほうが看護ができてる姿を見て、私はとても刺激を受けました。
彼らのボランティアの仕事を率先して取り組んでいく行動力や、子供達へのスキンシップ、「I love you.」という愛情表現は素晴らしかったです。
彼らのその行動が孤児院の子供達を次々に笑顔にして行きました。
親から愛情を受ける機会がなかった孤児院の子供達にとって、大人から愛情を受ける機会はとても重要です。
私はその彼らの行動を見て感動したのと同時に嫉妬心も少し抱きました。
看護師の私よりも一般の外国人の方が子供達の心のケアが出来ていることに悔しさを感じたのです。
私は約1ヶ月間、孤児院でボランティアを行いましたが、その期間で1番学んだことは、「看護は場所や資格なんて関係ない。」っということです。
私は孤児院で医療者向けのボランティア活動もしていました。
そこでは、ホームレスの人たちの治療を無償で行います。
ホームレスはいろんなゴミが落ちている道を裸足で歩くのでケガをします。
でも、彼らはケガをしても病院に行けるお金はありません。
清潔を保てない環境で生活し、栄養価のない食事ばかりをしているホームレスはどんどん傷を悪化させるばかりです。
傷口からウジ虫がうじゃうじゃ出てくることもありました。苦笑
でも、そのボランティアの現場も看護師だったのは私だけでした。
医療系の大学に通っているヨーロッパ人もいましたが、後は元料理人のイタリア人とかです。
私は、インド人の治療をこの元料理人のイタリア人から教わりました。
彼は元医者でもないし、医療関係の仕事をしたことがありません。
ただ、インドの医者から怪我の治療を学んだことがあるだけと言っていました。
彼の行動力を見てると、本当に人の命をや人生を救うのに、場所や資格なんて関係ないなぁと思わせれました。
私は、インドの孤児院でボランティアをしている間に結婚することが決まりました。笑
当時の彼氏(現在の夫)から電話越しで、「シンガポールの就職が決まったんだけど、一緒に来る?」という提案に、私は「え、行きたい!」と即答したことで、結婚にまで至ったのです。笑
インドでのボランティア活動を終えて、私は結婚の手続きとシンガポールに移住する手続きをするために日本へ帰国しました。
諸手続きを約2ヶ月半で済ませて、いざシンガポールへ旅立ちます。
自分で言うのも何ですが、私は専業主婦に向いていません。笑
夫も私に働いて欲しい気持ちが強かったので、まずシンガポールについて行ったことは転職活動でした。
当時看護師で働きたい気持ちはあったものの、医療英語以前に日常英会話ができるスキルもなかったので、とりあえず英語を習得するために飲食店とかで働こうとしていました。
しかし、お寿司屋さんの内定を頂く寸前で夫にこう言われました。
「本当にそれでいいの?もっと自分のやりたいことができる場所を探して働きなよ。」
そして、私はこう思ったのです。
「確かに今までの看護師経験や海外での経験を活かせる仕事につけたら楽しいかも。」
そこで、すぐに思い浮かんだのが孤児院での経験でした。
場所や資格に関係なく、自分の看護を活かして働けることができるのか挑戦してみよう。
そう思ったのです。
また、孤児院や今までの経験から、「子供が心の健康を保ちながらすくすく育つことができる環境を提供できる大人になりたい。」と思っていました。
その結果、シンガポールの日本人向けのベビーシッター会社で働くことになったのです。
という訳で、私がシンガポールで新しい挑戦ができたのは、あの時の主人の一言のおかげです。
そもそも、主人がシンガポールで労働ビザを取得できたおかげで私はシンガポールで生活することができているので、主人には本当に感謝ですね。
私の発言から始まった産後ケア
私はベビーシッター会社へ就職する前、スターバックスで社長と面談をしました。
その時に私は「普通のベビーシッターのお仕事以外に、病気や怪我によって育児に困っているお母さんや子供のサポートをしたい。」というお話をしました。
金銭的に裕福な家庭であっても、心寂しさを感じている子供は現代に多いですし、親御さんの病気や怪我は子供の心を抑制したり寂しくさせることもあります。
私は子供の心の健康は将来に大きく影響すると思うので、そこのサポートができるようになりたかったのです。
私は今までの人生で世界中の子供達からたくさんの元気や笑顔をもらい、物事に関する考え方についても学ばせてもらいました。
なので、これからは子供達から受け取るだけでなく、貢献できる大人になりたいそう思ったのです。
そう言った自分の思いを社長に告げたことで、社長から「産後ケアという仕事してみない?」と言われました。
シンガポールでは産後ケアサービスを利用することが主流です。
シンガポールは男女平等社会で女性の社会復帰率も高く、産後ケアサービスを利用して産後3ヶ月くらいで職場復帰する女性も多くいます。
シンガポールに住む日本人は共働きの人もいらっしゃいますが、駐在の方は奥様が専業主婦の場合が多いです。
じゃー日本人は産後ケアサービスは不必要じゃない?と思われがちですが、最近はシンガポールの無痛分娩が日本人にも人気でシンガポールで出産する人が増えています。
日本ならば里帰り出産をする人が多いですが、海外だとそれが簡単にできないのです。
ローカルの産後ケアを受ける日本人も多くいらっしゃいますが、漢方や脂っこいローカルの食事が合わなかったり、育児の価値観がローカルの産後ケア者と合わないケースがあるそうです。
もし、そこで日本人でサポートできる人がいたら、シンガポールで出産しても安心して海外で子育てを始めることができるのです。
私はそれを知り、「ぜひ産後ケアをやらせて下さい。」と社長に即答しました。
これが、私が産後ケアを始めたきっかけです。
いかがでしたでしょうか?
いろんな人との出会いにより今の自分がいる、ということを改めて実感した記事になりました。
私の自己満足な記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
終わり♪